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東京家庭裁判所 昭和34年(家)999号 審判 1959年3月11日

申立人 大橋とし子(仮名)

相手方 山野正夫(仮名)

主文

一、相手方は申立人に対して財産分与として金拾万円を即金二万円、残金八万円は昭和三十四年三月末日以降毎月末日限り一ヵ月金五千円宛支払うこと。

二、調停審判費用は各自弁とする。

理由

一、申立人は新制中学卒業後製菓会社に就労していたものであつて、当年満二十一才である。

相手方は有限会社○○製作所(鉄工場)を経営している父の長男に生れ、新制中学卒業後は父の会社にて働き、一ヵ月一万七千円を貰つておるものであつて、当年満二十二才である。

二、申立人と相手方は昭和二十九年十月頃より知合い、昭和三十年一月四日双方親達のとりきめにより婚約が成立し、昭和三十三年四月以来事実上の夫婦として相手方にて同棲することになつた。尤も両者の間には夙に肉体的交渉があつて、昭和三十一年三月と同三十三年七月の両回に亘つて姙娠中絶したような事情であつた。

三、当事者両名の結婚同棲生活は、或は夫婦だけの生活であれば、波乱もきたさなかつたかも知れないが、相手方家族、殊に所謂小姑たちと嫁である申立人との折合にむつかしさがあつた。

もとより不幸なことであるが、こういうことは何処の家庭でもあり勝なことであり、そのため、申立人としては結婚の条件として夫婦二人だけの生活を夢み又、それを強く希望したものであるが、相手方の家庭事情、それも相手方が長男であり、家業に従事しているなどの事情竝に経済的事情が、夫婦二人だけの生活をゆるさなかつたので、已むなく相手方家族との同居ということになつた。

こうした家庭にあつては相手方には申立人に対する格別な心遺いが必要となるのであるが、年若い相手方にはこうした点にまで考えが及ばなかつたであろうが、申立人の性格としての幾分勝気な点も手伝つて、結局夫婦生活の破綻を生じ、両者の親達もこれに介入して折衝したが、まとまらず、遂に昭和三十三年八月末頃離別したものである。

四、申立人は内縁離婚に伴う慰藉料請求は訴訟事項であるから普通裁判所に提訴すべきであるが、そのようなことは経済的にも、時間的、精神的にも事実上不能であるから、家庭裁判所にて処理せられる財産分与の審判の事情として相手方の不法行為性を斟酌せられたいというのである。

五、申立人と相手方の離別に際して財産分与を為すべきか、然りとすれば何れ側が分与すべきかを検討するに、財産分与は内縁離婚にもその規定が準用されること既に当裁判所にも先例があるので、その法的説明は省略し、以下財産分与について参酌されるべき一切の事情を検討することとする。

六、相手方と申立人の結婚生活において、相手方は月収全部を申立人に交付し、申立人はそれにて家計をさんだんしてきたものであるが、尚申立人は結婚により勤務会社を退いたため、実家に対する援助として夫より支給された金員中より一ヵ月二千円に近い金員を実家に仕送りしていたものである。

しかし、反面申立人は相手方家庭においてよく働いたことは相違ないが、申立人の会社退職するについては、相手方は必ずしもこれに賛せず、できうれば結婚後も引続き会社勤めをすることを希望していたにも拘らず申立人は自ら会社を退いた点、尚相手方は金二万円程度の金員なれば支払いに応じてもよいといつている点並に申立人はその後食堂に勤務し、収入を得ていること等その他諸般の事情を参酌すれば財産分与として主文の通り定めるを相当とする。

(家事審判官 村崎満)

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